『伊勢物語』の主人公とされる在原業平は各地に様々な伝説を残している。『伊勢物語』を基に、謡曲や古註釈の解釈、地名の由来などを含み、その土地に根差している。東北から九州まで広い範囲を舞台にした『伊勢物語』により、業平伝説も広い範囲に伝わっており、東下り関係の伝説と高安周辺の伝説が特に多い。しかし、これらは他地域ではあまり知られていない。本論では、『伊勢物語』の舞台としてよく知られた愛知県知立市の八橋の伝説と、『伊勢物語』には登場しない愛知県東海市の業平の伝説を比較する。この二つの伝説には、東下り関係の伝説と高安周辺の伝説の要素が共に含まれていることがわかった。伝説発生の流れを確認することによって、『伊勢物語』享受の方法を探るとともに、『大和物語』など説話的に広がっていく物語の形を考察する。 Ariwara no Narihira the hero of the “Ise Monogatari”, has left a variety of legends in various places. Based on the “Ise Monogatari”, the interpretation of the Noh play or full annotation, and the like derived from place names, is rooted in the land. By the “Ise Monogatari”, which was to be staged in a wide range of places from Kyushu to the northeast, Narihira legend has also been transmitted to a...
宇江佐真理氏の時代小説『通りゃんせ』は、初出『野性時代』掲載時には「本所八名川町」と地名表記されたが、単行本及び文庫出版に際し「深川八名川町」と訂正された。出版社校閲より江戸八名川町は本所ではなく深川...
資料紹介江戸時代初期に活躍した将軍・徳川家光の茶道指南役である小堀遠州は、その才能を茶の湯だけでなく、造園や築城でも開花させた人物である。遠州は、茶の湯を古田織部に学び、その織部は利休に学んだ。利休は...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
publisher奈良 本報告は、桑山氏によって築かれた陣屋ならびに陣屋町の形態をみたうえで、桑山氏改易後の史料を検討しながら、永井氏の新庄について検討し、新庄陣屋と「町」の形態について明らかにしてい...
『平家物語』は天台座主明雲の配流を物語るにあたって、唐の一行阿闍梨の故事を引き合いに出す。この一行説話が、明雲流罪の悲劇を印象づけるためのアレゴリー(寓喩・諷喩)であり、「一行阿闍梨」が明雲の隠喩とな...
形容詞「おぼつかなし」の用字として現在では「覚束なし」が使われることが多いが、鎌倉時代に成立し、その後さまざまな人びとによって改変され、増補されていったとされる平家物語諸本ではこの語が数種類の文字で表...
本歌取りを得意としていた藤原定家は、本歌を巧みに想起させるように本歌取りの歌を創作している。一方で本歌との違いを明かにし本歌取りの歌と本歌とが別の歌であることをも示している。それにより、読み手は本歌と...
明治期の彫金師、海野勝珉が制作した宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する「蘭陵王置物」と「太平楽置物」を平成17年8月11日、三の丸尚蔵館において次のような研究者が調査を行った。鳥田宗吾は、象嵌技法を中心とした...
独創的な国文学者、民俗学者、あるいは詩人として知られる折口信夫は、もうひとつの顔をもつ。「神道学者」としての折口信夫である。それは狭い神道学に限定されることない可能性を孕んでいる。すなわちヨリシロ・マ...
江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
本稿では,薩摩国一宮制研究の一環として,蒙古襲来を契機に薩摩国一宮となるハ幡新田宮及び同宿と深い関係を有す五大院の宮領・院領における支配機構とその形成過程を分析した。その結果八幡新田宮領・五大院領が一...
本稿は「紀貫之論」の一環として書かれている。貫之という歌人には、単に三一文字の歌詠みというだけではおさまりきれない何かがあり、まただからこそ『古今和歌集』仮名序や『土佐日記』という仮名日記の執筆をも試...
Publisher奈良" 本稿では、学校法人奈良大学が所蔵する掛幅のうち、墨江武禅、大西圭斎、瀧和亭の掛幅作品三幅を紹介する。 最初に墨江武禅「楼閣山水図」を紹介する。墨江武禅は大坂で活躍した絵師で...
publisher奈良記紀万葉等の最古の文献に遺る、漢語およびごく一部の半島出自と見られる語以外の言葉は、総じて一般にヤマトコトバ(和語)と呼ばれている。それらに、平安初期のかな資料等も含めて、判る限...
宇江佐真理氏の時代小説『通りゃんせ』は、初出『野性時代』掲載時には「本所八名川町」と地名表記されたが、単行本及び文庫出版に際し「深川八名川町」と訂正された。出版社校閲より江戸八名川町は本所ではなく深川...
資料紹介江戸時代初期に活躍した将軍・徳川家光の茶道指南役である小堀遠州は、その才能を茶の湯だけでなく、造園や築城でも開花させた人物である。遠州は、茶の湯を古田織部に学び、その織部は利休に学んだ。利休は...
専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...
publisher奈良 本報告は、桑山氏によって築かれた陣屋ならびに陣屋町の形態をみたうえで、桑山氏改易後の史料を検討しながら、永井氏の新庄について検討し、新庄陣屋と「町」の形態について明らかにしてい...
『平家物語』は天台座主明雲の配流を物語るにあたって、唐の一行阿闍梨の故事を引き合いに出す。この一行説話が、明雲流罪の悲劇を印象づけるためのアレゴリー(寓喩・諷喩)であり、「一行阿闍梨」が明雲の隠喩とな...
形容詞「おぼつかなし」の用字として現在では「覚束なし」が使われることが多いが、鎌倉時代に成立し、その後さまざまな人びとによって改変され、増補されていったとされる平家物語諸本ではこの語が数種類の文字で表...
本歌取りを得意としていた藤原定家は、本歌を巧みに想起させるように本歌取りの歌を創作している。一方で本歌との違いを明かにし本歌取りの歌と本歌とが別の歌であることをも示している。それにより、読み手は本歌と...
明治期の彫金師、海野勝珉が制作した宮内庁三の丸尚蔵館が収蔵する「蘭陵王置物」と「太平楽置物」を平成17年8月11日、三の丸尚蔵館において次のような研究者が調査を行った。鳥田宗吾は、象嵌技法を中心とした...
独創的な国文学者、民俗学者、あるいは詩人として知られる折口信夫は、もうひとつの顔をもつ。「神道学者」としての折口信夫である。それは狭い神道学に限定されることない可能性を孕んでいる。すなわちヨリシロ・マ...
江戸時代、井原西鶴によって書かれた『本朝二十不孝』は、我が国の文学史において、『孝子伝』『二十四孝』が受容されていく孝子説話史の中に位置づけられる。西鶴は、本書で、孝行の典型である「二十四孝」に対して...
本居宣長の『古事記伝』は、近代的な古事記研究の先駆として高く評価されているが、一方『古事記』そのものが大きく読み替えられ、作り替えられていく「神話の再解釈・再創造」の実践が見られる。それを象徴するのが...
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専修念仏に対する糾弾の嚆矢たる「興福寺奏状」について、これまでの定説を覆し、停止要請がなされたのは専修念仏それ自体ではなく、専修念仏者の逸脱行為であったとする研究が登場した。専修念仏停止の院宣・宣旨は...